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年末にうれしいこと二つ (月, 02 1月 2023)
あけましておめでとうございます 〓〓年々、手抜きになる年末年始でございます〓〓無理すると身体に出る年頃である、ということを言い訳に、「ゆっくりボチボチできる範囲で」をモットーに(?)過ごしております。結果、何も片付いていませ〜ん〓 年末、うれしいことが二つ〓一つ目は、昔の生徒さんに偶然会えました! 小2から高1ぐらいまで来てたかな? 東京で就職し結婚して、帰省してお母さんと出かけるところで、数年ぶりに会って言ってくれたことが、「スペースわん」が生き方に大きく影響した、自分の..
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スペースわん通信

生徒さんたちの成長の様子や、

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「主体的」ってどういうこと?〜「自主的」とどう違う?」通信第54号(通算174号)

「主体性」「主体的」って?

ここ数ヶ月、

「主体性」「主体的」についてじっくり考える機会をいただきました。

ある月刊誌の特集企画で、

コロナウィルス禍における子どもの権利についての原稿を頼まれ、

「コロナ禍でどう学びを継続し、場を維持したか」ということと

「主体的な学び」とを関連づけて書いたのです。

「主体性」も「主体的」も、この通信でたびたび使ってきた言葉で、

ここ2年ほどの間だけでも、

4143444546が「主体性」に関わる内容です。

いえ、

通信のほとんどが「主体性」「主体的」に関わると言ってもいいぐらいです(^^; 

そもそも、

「らくだメソッド」で学ぶ=「主体的」に学ぶ、ということであり、

切り離して考えることはできません。

「らくだメソッド」で学ぶ生徒さんたちが

どのように「主体的」に学ぶ姿勢を身につけていくのかを具体的に書くために、

過去の生徒さんの例を振り返ったり、

「『自主的』とどう違うのか?」と問われたりすることで、

改めて「らくだメソッド」の原点を再確認することになりました。

「まず自分でやります」

「スペースわん」の生徒さんが、

学校ではまだ習っていないプリントに進んだ時よく言うのが、

「まず自分でやります」という言葉です。

学校の宿題をやる時も、

「自分でやってみて、わからなかったら質問します」と言います。

これは「自主的」とも言えそうです。

では、最初からこのように言えたのでしょうか? 

生徒さんたちは、「らくだ」のプリントを、

まず自分でやり、自分で答え合わせをし、間違い直しも自分でやった上で、

私のところに持ってくる、ということを積み重ねています。

自分にとって簡単なところから始めてこのやり方に慣れていき、

そのうち、だんだん難しいところにさしかかります。

すると、

やりたくなくなったり、簡単なプリントを選びたくなったりして、

「家でなかなかプリントがやれない」

「先に進みたがらない」といったことも起こります。

「なんで今こんな簡単なプリントに戻るの?」と思うこともあったりします。

でも、

投げ出してずっとやらないまま、とか、

ずっと簡単なプリントだけ、になるかというと、

そうではありません。

時間はかかっても、結局は、

なかなかクリアできない難しいプリントにチャレンジし、

自分の「カベ」を乗り越えていきます。

「まず自分でやります」という言葉は、

この経験の後に出てくる言葉であり、

「自主性」に任せているわけではありません。

難しいプリントに1年間向き合う

かなり前になりますが、

塾を転々とした後、中1で入会した子がいました。

1の横式足し算のプリントから始めたのですが、

「ここまで戻ってやり直せる所は今までなかった」

と言いました。

引き算筆算でミスがかなり出て苦戦しましたが、

ゆっくりのペースでも確実に計算力をつけ、

5-25という

異分母の分数の足し算引き算や約分が混じっている難しいプリントまで来たのですが、

この「カベ」がなかなか越えられません。

できない日が続いたり、数行しかできなかったりしましたが、

それでも投げ出さず、

「戻ってもいいよ」と言う私に「いえ、これをやります」と言って、

1年間この難しいプリントに向き合い続け、

本人が納得した上で次に進みました。

漢字がとても苦手で、

入会時には「入場」の「にゅう」も「朝日」の「ひ」も読めませんでしたが、

「らくだ」の国語のプリントで小1の漢字から練習し、

5年後には、

「字幕が読めるようになって韓国ドラマにハマっている」

と言いました。

それまで、

できないことを恥ずかしいと思ってきた(思わされてきた)この子は、

算数や国語のプリントに

最初から「自主的」に取り組んだわけではないと思います。 

ただ、

「これならやれそう」と思えるところからやるうちに、

自分の変化が数字ではっきりわかり、

できなかったことができるようになる実感もあって、

難しいプリントを選んだり、

やりたくないことにも向き合えたりしたのだと思います。

「主体的」になるには、

自分で自分の課題に向き合って「カベ」を乗り越え、

自分の変化を目の当たりにすることで自信がついた、

という経験の積み重ねが必要で、

やりたいから(やりたいことを)「自主的」にやる、

というのとは全く別物なのです。

やりたくないことを主体的に

「主体的」とは、

辞書には「自分の意志や判断で行動するようす」

とあります。

与えられたものを言われたとおりにするのではなく、

「自分はそれをどのようにするのか」と考え、

時には

「それをすることが自分にとって必要か? 大事なのか?」も含めて、

自分の意志で選んで判断する必要があるわけです。

一方、「自主的」は、

「やるべきことを、人に言われる前に自らやる」

というニュアンスでしょうか。

学校の宿題をやる生徒さんが、

ただ単に与えられたものを言われたとおりに、

でも自分からやっている、というのは、

「主体的」というより「自主的」でしょう。

そのことにどう向き合うかが、

「主体的」かどうかに関わる気がします。

やりたいことをやるだけでは世界は広がりませんし、

時には、

「与えられた」やりたくないことをやる必要が出てきます。

その「やりたくないこと」に対して、

例えば、

「どうしてもやりたくないから、今はやらないことを選ぶ」

「やりたくないけど、やった方がいいと思うから(どうしてもやらなくてはいけないから)、

 言われたとおりではなく、自分でやり方を工夫して やってみる」

などという姿勢を持てたら、

ただやらされているだけでなく「主体性」が出てくるように思います。

そこに「自分の意志と判断」があるからです。

「自分でやってみて、わからなかったら質問します」というのも、

自分の意志と判断ですね。

自分の意志で選んで判断するといっても、

好きに選ぶことで「主体的」になれるわけではありません。

好きに選べば、

やりたいことは「自主的」にやるが、やりたくないことはやらない、

ということも起こり、

結局、自分の「カベ」を乗り越える経験ができないままになりがちです。

自分で判断するには、判断基準がいります。

「らくだメソッド」では、

1枚のプリントに設定されている「目安時間」と

ミスの数という客観的データを判断基準として、

次のプリントを自分で選びます。

人との比較や人からの評価ではなく、

自分で判断できるのです。

そのように、

日々「自分はどうするのか」を考え、

自分で「カベ」を乗り越え、

力と自信をつけることではじめて、

「主体的」になれるのだと思います。